種は船のはじまり


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種は「時間・場所」を記憶して運んでくれる。

種は人々をまだ見ぬ土地へ誘ってくれる。

それは乗りもののようである。

種は「人々の想い」を繋げてくれる。

種は海の向こうの知らないところへ向かう船のようである。

種の船に乗ってみたい。

種の中での時間を過ごしてみたい。

そこには今の時間にはないものがあるはずだ。


朝顔との出会い@新潟県莇平(あざみひら)

(第2回大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ)

「明後日朝顔プロジェクト」は、2003 年「第2回大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」において設立された『明後日新聞社文化事業部』の一環として、新潟県十日町市莇平(あざみひら)の廃校になった莇平小学校校舎を拠点に20 戸の集落の住民たちと朝顔を育てたことからはじまった。
越後妻有アートトリエンナーレに参加することが決まった時、日比野さんは「作品を展示するだけでなく、地元の人と関わっていきたい」と考えていた。日比野さんと莇平集落の人たちとの初顔合わせの日、東京からやってきたアーティストを前に「アートとか分からんすけ・・」と困惑気味の村の人々。徐々に会話が途切れかけた頃、日比野さんはふと学校の花壇に花が咲いていたのを思い出し、「あの花はどうしたんですか?」と口にした。すると、あるお母さんから「東京からお客さんがござるすけ植えといたんだ」という言葉。
それを聞いて、集落の人たちが花を育てることで気持ちを伝えようとしてくれたのだと思いあたった日比野さんは、とっさに「一緒に植物を育てますか?」と言っていた。
会話はどんどん弾み、それぞれの胸に、校舎の屋根まで朝顔のツルが伸びた景色が浮かんだ時、プロジェクトは動き始めた。農作業や土木作業の得意な集落の人たちと試行錯誤を繰り返し、校舎の屋根まで張られたロープに朝顔はツルを伸ばし、校舎の景色を変え、たくさんの種が収穫された秋には、翌年も朝顔を育てることに疑問を持つ人はいなかった。続く2004 年も莇平で朝顔が育つこととなった。

新潟県十日町莇平  金沢21世紀美術館

その後、みんなの想いの詰まった「明後日朝顔プロジェクト」が全国にて展開され、現在23地域が参加しています。(2011.5月現在)
「種」が移動する

2006 年、朝顔の種は福岡、太宰府、岐阜へと拡がり、2007 年には、金沢、横浜、傍示、杖立、天草、熊本、霧島を加えた13 地域で朝顔が芽を出した。
2007 年、金沢21 世紀美術館で開催された『日比野克彦アートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式』において、「明後日朝顔プロジェクト21」を実施。美術館の丸い建物の周囲全面にロープを張り巡らし、全国の明後日朝顔の苗を集めて、美術館を覆った。
水戸に種を移動させてから、日比野は、自分と一緒に種も移動させるようにしていた。それは、収穫地から移動し、たどり着いた先で芽を出し蔓を伸ばすという朝顔の種のもつ特性をなぞるような行為であった。小さく持ち運びのしやすい形状で、前年の記憶を再生させるように育つ種の特性そのものが日比野にそういう行為を促したともいえる。
すると、移動した明後日朝顔の種につられて人も移動するようになったのである。

「種には1年間の記憶・思い出が詰まっている。
 そして各地域へ運ばれていき、またそこで思い出を乗せてくる

まるで種は乗り物みたい・・・」

朝顔の種

こうした日比野さんの発想から
明後日朝顔プロジェクト」から「種は船」の構想がだんだんと出来上がっていきます。

古来より、人類が文化や文物を船に載せて伝えて来たように、明後日朝顔では、朝顔の種そのものが船となって、その土地の記憶を乗せて移動する。そして、莇平の記憶を持つ朝顔の種で繋がった地域の人々が種を媒介にして移動することで、地域と地域、人と人、地域と人の交流が生まれ、広がり、人びとや人びとの関係性を変容させていく。