2013 年9 月10 日~ 12日、TANeFUNe は南三陸町を訪れました。
東日本大震災からちょうど2年半。
10 mを超す高さの津波が襲い、市街地の多くが流出した爪痕もまだ生々しい南三陸町でしたが、
この町の海で力強く生きる多くの人々のお話を聴くことができ、
港で行った出張カフェにも地元の漁師さんらが訪れてくださいました。
8月の塩釜・浦戸諸島での滞在を終え、
TANe FUNe は9月10日から12日までの間、宮城県南本吉郡南三陸町に滞在しました。
「つながる湾プロジェクト」が立ち上がった時から、
松島湾のほかに東北の太平洋沿岸部の湾を航海できないかと
可能性を探っていましたが、時期的な問題や震災後の漁の再開に加え、
防潮堤や嵩上げ工事があちこちで始まっているという被災地ならではの要因も重なり、候補地探しは難航。そんな中、仙台や南三陸町の協力者を得て、三日間の南三陸町志津川での活動が実現しました。
ひとつの湾だけでなく複数の湾を訪れることで、それぞれの土地を相対化し、
TANe FUNe の活動の意味をあらためて見つめ直すことができるのではないかと
期待して南三陸町を訪れました。今回のTANe FUNe 船長・喜多さんの提案で、
単にTANe FUNe とそのメンバーだけで南三陸を訪れるのではなく、
塩釜でTANe FUNe に関わってくれた塩釜在住のメンバーにも積極的に声をかけ、
一緒に南三陸へ行くことに重きが置かれました。そこから生まれる交流こそが、
湾をつなぐという点で重要な意味を持つだろうと、南三陸行きを前に再確認できました。
南三陸町では、三日間という限られた時間と事前の短い告知期間にも関わらず、
志津川港でお仕事をされている漁師さんや水産関係のお仕事の方を中心に、
多くの方々にTANe FUNe カフェでのおちゃっこや宝物づくりを楽しんでいただきました。
昨年の航海でもそうであったように、「なんだか面白い船がある」という興味本位で
声をかけてくださる方も、はじめは距離を持って眺めている方も、
船の由来やこれまでの航海の話をするとぐっと距離が縮まり、その土地の海や港の話になる、
そうした会話が自然にあちらこちらで起こる現場でした。
船という共通項で、船旅をする旅人と海のそばで生きてきた人々との間に
コミュニケーションが生まれる臨場感は、やはりTANe FUNe ならではのものだと再認識しました。
そして、南三陸で聞く海の話は、甚大な被害を受けた土地と人の計り知れない記憶そのものでした。
あまりに生々しくつきまとうその記憶は、南三陸の風景とともにそこにありました。
大勢の人たちの手と記憶でできた船、そのデザインの特徴から
平均速度が時速12km(自転車でゆっくり行くぐらい)というのんびりした船、
水面までの距離が近く水際がすぐそばにある船・・・
そんな特徴を持つTANe FUNe を「呑気な船だなぁ」と形容した人がいました。
真っ平らな床面の船は、水面にぽっかり空いた空き地のように、空白の時間と場所をゆらゆらと提供します。そこから水平線や湾の風景を眺めると、あらゆるものから切り離された、
境界線もなくどこにも属さない独特の感覚が芽生えます。
漁船でも客船でもなく、人と地域をつなぎ記憶を載せる「種」としてだけある
TANe FUNe の場合、その感覚がひと際です。
その船が、塩釜から南三陸へと往来し、再び塩釜に戻ったことは、
種が成熟し花を咲かせて実を落とし、そしてまた芽吹くように、
今後ますます大きな意味を持つだろうと強く感じた旅でした。
森真理子