種は船2012キーワード


種類は舞鶴で船

自走する船づくりと航海を目指して、2010年秋に実物大の模型をイメージした<舞鶴丸>を製作。

ダンボールと木材を使った朝顔の種の形をした船づくりを行った。子どもから学生、大人まで舞鶴市内外のさまざまな人が参加し、
約ひと月で模型船<舞鶴丸>が完成。
プロジェクト1年目は、舞鶴発の新しい船をつくる想いを共有する仲間づくりの年となった。

2年目の2011年は、航海を目指す自走船<TANeFUNe>づくりが夏からスタート。
実際に浮かび自走する船を作るため、模型船<舞鶴丸>の設計を大幅に変更。
FRPと発砲スチロールによる船体下の基礎部分は、舞鶴地元の大工さんや造船所などの協力のもと製作。
船体の色塗りと、漁網を編む方法でつくった船体上を覆う<種衣>は一般参加のワークショップにて製作。
港直前の2012年5月<TANeFUNe>が完成した。
2年の船づくりを通して、舞鶴を中心とする新たなコミュニティやネットワークが形成された。

種は船 ~航海プロジェクトfrom 舞鶴~

朝顔の種の形をした自走船<TANeFUNe>で、2012年5月から8月にかけて舞鶴から新潟までの航海を行った。
日本海の海岸線に沿った航路をたどり、合計32の港(給油や随伴船交替のための経由地を含むと35港)に立ち寄り、81日間をかけた約970kmの航海となった。陸路中心に発展をしてきた社会を見直しながら、<TANeFUNe>が人と人・地域と地域をつなぎ、海や船を通じて見えてくる地域や文化の豊かさ、多様性を見つけていくことを目的とした。航海には18名のクルーが入れ替わりながら参加し、船だけでなく<TANeFUNe>の制約上、ともに航海をしてくれる随伴船や港停泊の交渉のため、<TANeFUNe>と対になる<種車>が陸路を進んだ。

TANeFUNe

【船名】TANeFUNe
【船質】FRP
【長さ】5.36m、幅:2.70m、深さ:0.60m
フレームを合わせた高さ:約3m、トン数:0.9t
【機関の種類】船外機(60馬力)
【定員】5名
【速さ】平均7ノット(時速 約13km)
【その他の条件】

海岸から5海里(9.26km)以内の水域の航行に限る
平水区域を越えて航行する場合は随伴する船が必要
現在TANeFUNeは、新潟市内の信濃川河口・朱鷺メッセ横にて上架中。
次の航海の予定を待っている。
次回は東北地方太平洋側での航海を計画中。

宝物

航海中、寄港先の港で出会った人々とともに<TANeFUNe>の乗船体験や<宝物>をつくるワークショップを行った。
<宝物>は“海の向こうに届けたいもの”“先の港に届けたいもの”をテーマに、その土地にあるものや風景を生かして作ら
れた。その内容は、オブジェやスケッチ、航海の道具などさまざまである。<宝物>は「FROM THE SEA(ウミノムコウ
カラ)」「TO THE SEA(ウミノムコウへ)」と書かれた<宝箱>に積み込まれ、<TANeFUNe>とともに航海した。本展で
は、舞鶴から新潟までの間につくられた(描かれた)<宝物>を展示している。
航海中の乗船体験者は730名。宝物総数は423点。

明後日朝顔プロジェクト

アーティスト・日比野克彦により始まったプロジェクト。
「種は船」プロジェクトのきっかけとなった。2003年に日比野が参加した「第二回大地の芸術祭(越後妻有トリエンナーレ)」
で新潟県十日町市莇平の集落のおばあちゃんが遠くから来る日比野らを歓迎する気持ちを伝えようと朝顔を植えたことに
始まった。朝顔を植えることで<思い>を<かたち>にしたことをきっかけに“ 朝顔を育てる”アートプロジェクトが
スタート。その思いと活動は、莇平の種とともに水戸や福岡、岐阜、金沢をはじめ全国に広がり、2012年には25地域で
明後日朝顔の種が植えられている。舞鶴では市役所有志により2008年から本プロジェクトが始まった。
航海中は各地で明後日朝顔の種を配布し、朝顔の成長と<TANeFUNe>の航海期間を重ねあわせ、多くの人々が
航海を見守った。航海中、種を配布した先は107件にのぼった。

種は船

「明後日朝顔プロジェクト」から生まれた言葉。朝顔の種の形がまるで船の形ようだという発想と、古来より人類が文物や
文化を船に載せて伝えて来たように「明後日朝顔プロジェクト」では、朝顔の種がその土地の記憶や思いを乗せて移動し、地域と地域、人と人との交流が生まれたことを船に例えたところから始まった。そこから、2007年金沢、2008年横浜、
2 0 0 9 年鹿児島・大阪・北本などで、日比野克彦によるダンボールで朝顔の種の形をした船をつくる「種は船」の
ワークショップが行われた。2010年より舞鶴でのプロジェクトがスタート。

随伴船

<TANeFUNe>が平水区域(湖・川、港湾などの限定された水域)を越えて航行する場合は随伴する船が必要であるため、舞鶴から新潟までの航海のほとんどを随伴船に並走してもらうことが必須条件だった。
航海中、随伴してもらえる船を事前交渉し、合計35隻の漁船や遊漁船、ヨットに随伴してもらうこととなった。
「種は船⇔船は種 ドキュメント展in舞鶴」で上映される映像には、随伴船の交渉風景や随伴船とともに航海する<TANeFUNe>の様子も多く収められている。

舞鶴丸

「種は船in舞鶴」の1年目に赤れんが倉庫群芝生広場で製作した模型船。
延べ5,000人の手によって、約ひと月で完成。2010年10月の赤れんがアート&クラフトフェスタでお披露目された。
その後、国立舞鶴高等工業専門学校の協力により同校にて保管。
2013年1月本展で再び赤れんが倉庫での展示が実現した。
【素材】木材、ダンボール、紙、ペンキ。
【サイズ】高さ3.8m、幅4.0m、長さ5.0m。
10名が乗船できる。

「船は種」プロジェクト

2012年4月、「種は船」から生まれた記録と調査のプロジェクト。
「種は船in/from舞鶴」に関わる人々自身の手によって、プロジェクトにまつわる記憶や思いをたどり、
それをつむぎだすための記録や調査を行った。
それら記録の一部は2012年11月に東京で展示公開された。
記録と調査の手法設計は大阪のNPO法人recip+remoチームが担当した。
記録と調査自体をひとつのプロジェクトとして駆動させることで、
アートプロジェクトにおいて見過ごされがちなアーカイブ、
活動成果の検証・評価のための基礎資料を収集するというねらいもある。

「船は種」の役割

「船は種」という言葉を産みだしたのは舞鶴である。
どのようにしてこの言葉が生まれてきたのか?
それは2003年新潟で
「遠くから人が訪ねてきてくれるから、花を咲かせておきました」
という言葉から人の気持ちを伝える表現として
「明後日朝顔」
が生まれ、その朝顔の種が2007年金沢で
「種は土地を繋ぎ、人を運ぶ船のようだ」
という言葉を産みだし
「種は船」
が始まり、
そして2010年から舞鶴で<TANeFUNe>を造船し、
2012年に舞鶴港を出港し、舞鶴の人々が港に残りました。
この状況から
「船を創ることによって何が生まれたのか、船が航海することによって何に気が付いたのか」
を検証したいという欲求が生まれ、そして「船は種」という言葉が生まれたのです。
この「船は種」はこれまでのアートプロジェクトと同様、
連動して始まったアートプロジェクトではありますが、
これまでのものとは次元が異なるものになるでしょう。
「船は種」は様々なアートプロジェクトが社会に於いて有効に活用出来る為のアートの仕様を研究開発提案するものとしての役割を果たしていくことを目指していきたいと考えています。
2013年1月7日
日比野克彦(「種は船」監修/アーティスト)

フネタネスコープ

<フネタネスコープ>とは、「1分間」(注1)「定点」「ズーム無し」の3つのルールにもとづいて撮影された映像のことである。
誰でも簡単に撮影できる映像形式として、「種は船」の記録調査を担当する大阪のrecipチームが考案した(注2)。
フネタネスコープの撮影者は主に<TANeFUNe>クルーと「種は船」に関わってきた舞鶴の人々である。どの映像も撮影
者にとっての「種は船」、またはそれにまつわる記憶を呼び起こすものだが(注3)、映っているのは海や船だったり、舞鶴市内のどこかや誰かだったりする。何が映っているのか、誰が観てもわかるもの、撮影した人にしかわからないものもある。
こうして複数の視点が織りなす膨大な量の映像は「種は船in/from舞鶴」の3年間の歴史だけでなく、造船から航海まで
さまざまな人が関わった<TANeFUNe>そのものを体現しているといえるだろう。

注1) 本展の上映映像は30秒~1分30秒の映像も含め構成している。 注2)フネタネスコープ(©remo+recip)は、remoが考案した「レモスコープ」(無加工・無編集・最長 1分・定点・無音・ズーム無しのルールで撮影)を「種は船」用にアレンジしたもの。 注3)舞鶴ではフネタネスコープを観ながら3年間の記憶を語り合う「つどい」の場を設けた。

種車

種車陸からTANeFUNeを見守り、次の港に先回りして停泊や随伴船の交渉に向かうのが種車(たねしゃ)に乗った陸班の役目だった。TANeFUNe出入港に合わせて港間を移動し、事前交渉やクルー・ゲストを運ぶために陸路を何往復もした。