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航海日誌No.77 「しもげの風」


2012年8月3日

4時半起床。荷物をまとめて民宿を後にし、5時半過ぎにTANeFUNeに到着。「おはようございます!」どこからか声がする。目を向けると、そこにはTANeFUNe乗船をずっと楽しみにしてくれていた新潟の佐藤さんの姿があった。佐藤さんは、10年前に新潟県の莇平ではじまった明後日朝顔での出会いをきっかけに、以前からご家族で様々な現場に足を運んでくれ、今回も新潟港到着前にTANeFUNeに乗る約束をしていた。お仕事の休みをとって来てくれたのだ。佐藤さんは今日と明日、クルーとして一緒に行動する。

そして、今日は、もう一組ゲストクルーがいる。松代中学2年生の学芸部の4人と先生の合計5人。きっかけはこうだ。今日出港した柏崎港から、明後日朝顔のはじまりの土地である莇平は車で50分程度の距離にあり、もし時間の都合がついてTANeFUNeに乗れるのであれば、いかがですか?と、莇平の方に声がけをしていた。ところが、みなさん仕事が忙しく、乗りたいけど乗れないという。そこで、莇平の兄(アニ)こと、高橋さん(莇平はほとんど高橋さんなのだが)からの提案で、娘のユハちゃんが松代中学2年生で、学芸部におり、その仲間を自分達の代わりに乗せてあげてほしいとのことだった。もちろんOKである。

 

実は、ユハちゃんと会ったのは10年前の2003年の莇平。明後日朝顔のはじまりの年で、当時彼女はまだ4歳だった。あれから10年が経って、種が船になって新潟まで戻ってきたわけである。そう考えると、彼女が育つ環境にはすでに、そして常に明後日朝顔があったということになる。この10年の間に、明後日朝顔の種が全国に広がると共に、約20世帯の山間の村には全国からいろんな人が訪ねて来るようになった。そんな環境で育った彼女は、明後日朝顔第一時世代とも言える。明後日朝顔とは何なのか、種をきっかけにどんなことが起きるのか、明後日朝顔のある莇平の日常を、自然に一番よく知っているのかも知れない。そんなユハちゃんがTANeFUNeに乗ることになった。

 

佐藤さんにユハちゃん。新潟港が近づき、朝顔の物語のルーツの土地に近づいてきているという実感を、人を介して感じる。

 

TANeFUNeと、随伴船“かしわ丸”とに分かれて乗りこみ、6時半に柏崎港を出港。波高は1mあり、久々に波を感じる航海となり、数名は船酔いに苦しんだりしたが、無事に寺泊港に入港した。入港時間は9時半で予定どおりの時間に到着することができた。中学生達からは楽しかった。辛かったが良い経験になったといった感想を聞かせてもらった。よくある感想ではあるが、逆にそれ以上にこの出来事を中学生に語られたら少し気持悪い。言葉にできなくても、すぐに答えを出さなくてもいいのである。確実にちゃんとそこにいたのだから。

 

一緒に航海に出た中学生4人の中には何が残ったのだろう。その成果が現れるのは、すぐではなく、時間がかかる。おそらく彼らが成長し大きくなってから、もしくは彼らがこれからどう成長するかということである。それには一粒の朝顔の種が全国に広がり、10年経って船になって戻って来るように、時間のかかる話であり、その時間であり、経過を楽しむためのものである。

 

この航海プロジェクト自体も、航海を通して出会った、港港の大きな人や小さな人の中に何が残り、それがどのように作用し、人と土地に変化をもたらしていくのか?そして、それが成果として現れるのは、いったいいつになるのか?その質問に答えられるとしたら、それは自分も含めたクルー全員であり、港で出会い、プロジェクトに関わったたくさんの一人一人全員が、今回の出来事と経験を経て、どう成長していくのかということである。

 

航海プロジェクトという、ある種の運動体を通して、社会の常識や、疑わなくなった視点、失いつつある人間らしさ、そういった“価値観”と言われるようなものの、一人一人の小さな歯車を少しずつ変えていった先の未来に何があるのか、起こるのかということを期待している。

 

“実験と結果”もしくは“作って売る”のように、それが直接的な成果として、すぐに現れることはないが、この「種は船航海プロジェクト〜from舞鶴」という運動体に出会った結果、それまでよりも豊かに生きられる人が増えていることを、出会いと別れまでの会話の中から実感させてもらえる、このプロジェクトの今を誇りに思いたい。

 

種が10年経って船になってもどってくることなど、10年前のあの日、誰1人として想い描いていなかった。この航海が10年後の未来に何になっているのか楽しみである。

 

午後に、明日随伴船を出してくれる“薩摩”の中里さんと会い、明日の航海についての打合せを行った。中里さんは船名の薩摩から分かるように鹿児島出身。18歳まで鹿児島におり、9年東京にいて、45年寺泊にいる。新潟に来たきっかけは貿易関係の仕事をしていたからだそうだ。今は仕事を引退して、家にいると奥さんの邪魔になるから、よく海に出ていると、冗談を言っていた。釣り船もしており、この辺りの海にも、もちろん詳しい。

 

この時期は、午後から北東の風が強くなり白波が立つほどまでになる。その白波が立つことを“ウサギが跳ぶ”と言う。ウサギが跳びはじめると、危険な状況になるのですぐに港に帰るそうだ。そして夕方から夜にかけて風は弱まり、朝方には凪になる。そして再び、お昼を過ぎると北東の風が吹き、ウサギが跳びはじめる。この北東の風をこの辺りでは、“しもげの風”と言う。上(かみ)と下(しも)の、しものことを意味する。京都を上と設定し、北東から吹いてくる風なので“しもげの風”と呼ぶとのこと。

 

明日はその“しもげの風”を避けるために、できるだけ早く出た方が良いとのことだったので、中里さんと話した結果、出港時間を1時間早めて、早朝5時に寺泊を出港することになった。

 

その後、柏崎で停泊場所の岸壁を貸していただいたりして、お世話になった、港湾工事をしている植木組の黒崎さんから電話があり、無事に寺泊まで到着したことを伝えると、とても喜んでくれ、新潟到着の最後まで安全な航海をするよう、祈ってくれた。そして、話の最後には、中里さんと同じ、“しもげの風”に気をつけるようにと言われた。港湾工事の方も言っているのだから、ほんとうに“しもげの風”は怖いのであろう。確かに今日も午後はかなり強く風が吹き、ウサギが跳んでいた。そういえば、今日、随伴船を出してくれた“かしわ丸”の佐藤さんも、同じことを言っていたのを思い出した。これだけ皆さんが気をつけろと言う“しもげの風”には、海の上では絶対に出会いたくない。新潟までの航海は残り2回。自ずと残り2回の航海の出港時間が早朝と決まってきた。

(テキスト:五十嵐靖晃)

記録

日時 8月3日(金)21:00 天気 晴れ
現在地 寺泊港 最高気温 33.5℃5
緯度 37°38′655N 最低気温 25.1℃
経度 138°45′999E 湿度 88%
進行 第29航海 風向
航海航路 柏崎港→寺泊港 風速 2m/s
気圧 1013.5hPa
航行距離 20.5海里(38㎞) 波高 1m
航行時速 7.0kt(13km/h) 降水量 0.0mm
出港時間 9:30 日の出 4:49
入港時間 停泊中 日の入り 18:51
航海時間 2.9時間 満潮潮位 (4:13)39㎝ (14:39)47㎝
船長 五十嵐 干潮潮位 (8:40)32㎝ (22:25)18㎝
船員 塩野谷 佐藤 高橋 坂井 随伴船 かしわ丸(佐藤)