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航海日誌No.67 「富山湾の縦と横の物語」


2012年7月24日

昨夜、18時〜21時までの3時間、長栄丸の長崎さんのエビ漁のお手伝いをさせてもらった。
そこには、今日の滑川から魚津までの随伴船を出してくれた宝竜丸の水橋さんも来ており(いつもは2人で行くとのこと)、3人で漁に出た。
偶然ではあったが出港前夜に水橋さんと一緒に時間を過ごすことができて良かった。

3時間の漁の流れはこうだ。18時、船の前に集合。漁場は3カ所。
まずはじめの漁場(クルマエビ狙い)に刺し網を落とし、網をそのままにして、2つ目の漁場(キジエビ狙い)へ移動。
そこでは、2日前に落としたエビかごを引き上げ、獲れたエビの選別をし、再びエサを仕込んで、
エビかごを海に落とし(2日後に引き上げる)、3つ目の漁場(ボタンエビ狙い)へ移動。
ここでも2つ目の漁場と同じことを繰り返す。
そして、最後に1つ目の漁場に戻り、最初に落とした刺し網を引き上げ、
選別をして港に戻ると、ちょうど21時頃になっているといった流れだ。
体感時間で言うと、夕日を眺めながら出港し、港にもどる頃には、辺りは真っ暗になっていた、といった感じである。

作業時間より、網の仕込んである漁場から漁場への移動時間の方が少し長いくらいの印象だった。
自分は選別を担当させてもらった。水深300mから引き上げられるエビかごには、エビ以外にも、ヒトデやバイ貝なども入っている。
それを、次のエビかごが上がってくるまでに選別する。
テキパキ選別しないと間に合わない。バイ貝はバイ貝の箱に、ボタンエビはボタンエビの箱に、
キジエビに関しては大小にサイズ分けして箱に入れていく。
そして、ヒトデなどの売り物以外のものは海に返す。
仕事を覚え、全体の作業のリズムに乗れるようになると選別作業は、より面白くなっていった。

今回の漁で獲れたエビは、多い時に比べたら6割程度だが、まずまずの量だったとのこと。
たくさん獲れるかどうかは運次第の部分もあるが、網を仕掛けるポイントや向きは、失敗を重ねて自分で見つけるものなのだそうだ。
うまくいったかどうかは、本人が一番よく分かっている。
やはり、誰かに頼ることのできない海という場所では、本人の経験に勝るものはなく、最後は自分を信じるしかないのである。

「はい。これ、今日の給料」

とバケツ一杯に獲れたてのエビを渡された。
暗闇の中、エビでいっぱいになったバケツを手に、TANeFUNeクルーのいる場所へ向かう時の誇らしさは、なんとも言えない。
早く、この獲ってきたエビを見せたい。そして驚いてもらいたい。食べて美味しいと言って、喜んでくれる顔を早く見たい。
この気持は、何か、食料を獲って家族の元へ帰ってくるという雄的な、動物的なものであり、本質的な高揚感なのだろう。
3時間分の給料として受け取ったエビは、みんなで美味しくいただきました。
言うまでもなく、最高のエビでした。

*

ここからは、今日の話。

昨夜一緒にエビ漁に出た、宝竜丸の水橋さんに随伴してもらい、8:30に魚津漁港を目指して滑川漁港を出港。
順調な航海ですぐ隣の港である魚津漁港近くまで来た。
この辺りは埋没林で有名である。約2000年前の杉の木の切り株が、海の中にあるという。
腐らない理由は、立山連峰の水が海底から湧き出ており、常に一定の温度の真水がそこにあるからだそうだ。
富山湾の自然環境がつくり出した、不思議な海の森である。

数日前の大雨の影響で富山湾の水は濁っていたので、潜って埋没林を見ることは叶わなかったが、日比野さんが

「せっかくここまで来たし、見るという試みはしてみよう」

と言うので、自分が船を操舵し、10数分だけ、日比野さんが素潜りで海の中を覗いてみることになった。

その時、まず興味深かったのが、海岸からの距離と深度の関係だ。
埋没林は水深20mくらいの場所にあるというので、GPSの水深計を見ながら、ゆっくりと船を岸に近づけていった。
岸から50mほどになっても水深計は150m以上を示している。
魚群探知機の海底の線は45°くらいの斜めに傾いている。
こんなの見たことがない。
どうやら、ここの海底は、かなりの急斜面のようである。
岸から20mくらいの所まで近づいてきて、やっと水深が20mほどになった。
そういえば昨夜のエビ漁のエビかごも、港からそれほど離れていなかったのに水深300mくらいに仕掛けてあった。
しかし、ここまで岸の近くが水深100m以上あるとは、岸から海を見ても、想像がつかない。
このことから考えると、どうやら富山という土地は、立山連峰の山の裾野が海底深くまで続いており、
海面がその長い斜面の中腹辺りにあって、その斜面と海面の接点の辺りに人が住んでいるようである。

そして、もう1つ興味深かったのが、潜って帰ってきた日比野さんの話だった。
結果から言うと、もちろん埋没林を見ることは叶わなかったのだが、潜ってみると、水深10m辺りから急に海が透明になり、
視界が開け、そこに泳いでいる魚が見えるほどになるそうだ。
海面近くは濁って何も見えないようにしか思えないが、10m下には透明な世界が広がっているなんて、驚きである。
その原因として考えられるのは、湧き水である。
立山連峰の水が地中をつたって、海底から湧き出ているから、ある一定の水深は常に透明なのだろう。
海の底まで続く立山連峰の斜面と、海中の湧き水が、豊富な漁場や埋没林といった
不思議な存在を有する富山湾の環境を形づくっているのだということを体感した航海だった。

10時前には魚津港に入港した。
本当は今日中に富山県最後の港である朝日町にある宮崎漁港まで行きたかったのだが、
魚津漁港から宮崎漁港までの随伴船がまだ決まっていなかったので、とりあえず魚津まで来てみたのである。
すると、入港時、昨日、停泊許可をもらいに魚津漁協に挨拶に来た時に、港で作業をしていたので
話をした浜多オサムさんが手を振って、出迎えてくれた。

五十嵐:「昨日はどうも!無事入港できました!」
浜多:「おう!待っとったよ!」。

1人であれ、大勢であれ出迎えてもらえるのは嬉しいものである。

浜多オサムさんは若い頃から漁師をしていたお爺さん
(お爺さんと言っても体はしっかりしていて、腕を曲げると二の腕には筋肉が盛り上がるほどだ)
で、今は魚津港にある古い遊覧船“つるぎ”の面倒を見ている。
ちなみに“つるぎ”は、以前、氷見のホテル「マイアミ」の船で、
その後、滑川のホタルイカ漁の観光船として使われ、今は魚津にある。
偶然にも我々の富山湾の航海と同じような港を辿ってきた物語のある船である。
そして、浜多さんには、キヨシという名のお兄さんがいる。
その方も元々漁師で、今は魚津港の蜃気楼工房という場所で、漁網やガラスの浮きなどを使った民芸品を作ったり、
蜃気楼の写真を撮って展示したりしている。
そして蜃気楼工房は年輩漁師さん達のたまり場になっている。
2人を含めたこの辺りの漁師さん達は若い頃、遠くはロシアまで船で漁に出ていたそうだ。
個人的な魚津の港の印象は“浜多兄弟のいる港”である。

昨日、会った時にオサムさんとキヨシさんには、随伴船の話をさせてもらっていた。
その時、自分もそんな旅がしてみたかった。
陸ではよく、自転車で日本を廻る旅とかあるが、小さな船でそんな風に日本を廻りたかった。
けれど、それには生活を犠牲にしないと行けない。
結局それができずに、この年までなってしまった。あんたが羨ましいよ。と言っていた。

そして、随伴船に関しては、船があればどこまでも送ってやるよ。
と言ってくれており、“つるぎ”で行けるかどうか、漁協に確認しておくというところで、話は止まっていた。

この世代の漁師さん達と海の話をしていると、海への距離感が近いように感じる。
それは、現代のようにGPSや魚群探知機やレーダーなどの精密機器も少なく、
もっと自分の五感に頼らなければならなかったからなのだと思う。
機械を介さず、自らの身体で海と向き合ってきた人達だからこそ、その怖さと面白さを知っているのだろう。
だから、話をしていると、海への距離感を近く感じるのである。

そして、随伴船の話を聞くと、

なんと!なんと!

“つるぎ”で浜多兄弟が随伴してくれるということになった!

しかも、今日!

出港時間を昼の12時に設定して燃料補給をしたり、昼食を早めにとったりして出港準備を整えた。

12時。
“つるぎ”の周りには、浜多兄弟以外にも、漁師仲間が集い、合計5人の年輩漁師さん達の姿があった。
1人の年輩漁師さんから

「黒部川の辺りは川の影響で潮の流れがおかしいから気をつけろよ」

と言われた。
後に、この方がその辺りの海で友人を亡くしたということを知った。

「了解です。今日は、宮崎まで、よろしくお願いします」

風も波もなく、海面は鏡のようなベタ凪。順調な航海。
古くなった遊覧船に年輩漁師さん達が相乗りしている姿はなんとも、微笑ましい。
と同時に、また、彼らの体の動きから感じる海での経験値は圧倒的で、逞しくも感じた。

黒部川を過ぎると、富山湾を出て、再び外海になる。
黒部川付近にさしかかると、海は落ち着いてはいるものの、外海特有のうねりが少し出て、突然、冷たい風が吹いてきた。
そして辺りは白くなり、視界が見えづらくなった。
黒部川を過ぎる頃には視界は開け、無事に、富山県最後の港である宮崎漁港に入港した。
後に聞いた話では、黒部川の川の水の影響で冷たい風が吹くそうだ。
視界を遮った白い靄もおそらくその影響なのだろう。

今日の航海は富山湾を出る航海であり、富山湾のつくりを体感した航海でもあった。
そして、湾内から湾外へ送り出してくれたのは、“つるぎ”に乗った、
魚津の浜多兄弟とその仲間の年輩漁師さん達であった。
立山連峰から海底へつながる、水にまつわる縦軸の物語と、“つるぎ”が氷見から魚津まで移動した、
人にまつわる横軸の物語と、富山湾の縦と横の物語を体感した航海であった。
遥か昔から、人は山頂と海底の間の海面付近に暮らしており、その海面付近を横に移動し物語を紡いでいる。
それはこれからも変わらない。この地球で、水は縦軸を移動し循環する。人は横軸を移動し循環する。
その摂理から逃れることはできない。もっともっと人は横軸を移動するといい。
そして陸に限らず、その横軸の延長にある海にも、もっともっと出てみたらいい。
“人間らしい”とはある意味ではそういうことなのかもしれない。

夜、地元の公民館で宮崎漁港のある朝日町の方々に航海報告会を行い、そのまま公民館で一泊。
明日は、糸魚川の姫川漁港から直江津港辺りまでの港と随伴船の交渉日のため、船は停泊予定。

(テキスト:五十嵐靖晃)

記録

日時 7月24日(火)21:00 天気 曇り
現在地 宮崎漁港 最高気温 32.3℃
緯度 36°58′263N 最低気温 23.4℃
経度 137°35′159E 湿度 78%
進行 第24航海 風向 南西
航海航路 滑川漁港→魚津漁港→宮崎漁港 風速 3m/s
気圧 1013.0hPa
航行距離 21.0海里(39km) 波高 0.5m
航行時速 7.0kt(13km/h) 降水量 0.0mm
出港時間 8:30 日の出 4:51
入港時間 14:30 日の入り 19:04
航海時間 3.0時間 満潮潮位 (6:10)43cm (17:47)43cm
船長 五十嵐 干潮潮位 (12:12)31cm (**:**)**cm
船員 日比野 水野 広橋 砂山
(魚津→宮崎は日比野のみ)
随伴船 宝竜丸(水橋)→つるぎ(浜多)